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私たちは映画に対するとき“傍観者”でしかいられないということ。

鑑賞作品:リバティ・ツリー・サーカス Liberty Tree Circus / 藤井アンナAnna Fujii


 この映画は、ある都会の一室でワインをすすりナチョスを食べながらから外を見る二人の女性の無邪気な視線から始まる。彼女たちの「あそこにある黒い塊は人か?ゴミか?」という無邪気な視線は、映画を観る私たち観客の普遍的な態度を暴き出す。私たちは映画に対するとき“傍観者”でしかいられないということ。  

 この映画は最初、散らかった机とナチョスを食べながら団欒する彼女たちをとらえる固定ショットで「スクリーンで起こっていることに対して傍観者である観客の視線」と「“あそこにある黒い塊”に対して傍観者である彼女たちの視線」という二重の視線を観客に提示する。この二重の視線は「あの黒い塊は人かゴミか?」という彼女たちの無邪気な視線と、 観客たちの何かを思考しようとする誠実な視線をリンクさせることによって、観客のサスペンス的欲求を刺激する。この二重の視線は直後の展開に向けて巧妙に仕組まれており「私たち観客は“黒い塊は人かゴミか?”を延々に話し合っている彼女たちの後ろ姿を観ていることしかできないのに、彼女たちは直接黒い塊を観ている。」という彼女たちへの嫉妬心と いらだちを煽る構図が観客のサスペンス的欲求を加速させるのである。いらだちが加速しつつあるとき、巧妙に仕組まれた観客と登場人物の微妙にずらされた視線の二層構造は、唐突に作者自身の手によって突き崩される。突如、固定されたカメラは作者自身の手によって動き出し、ようやく私たちは彼女たちの見ていた街を観ることができた。この瞬間観客は、映画への傍観者であることをやめ、主観的なカメラワークによってスクリーンに登場する彼女たちとともに都市への傍観者であることを強制される。  

 カメラは緩やかに黒い塊へクローズアップを始める。カメラの機械音とカメラを操る手つきの音、そして作者の息遣いは都市の発する音そのものだ。クローズアップは埋めることのできない“距離”を飛び越える。彼女のクローズアップの手つきは“黒い塊”への傍観者とし て「部屋のこちら側」という安全圏から眺め続けることをやめて距離を詰め、軽やかに「あちら側(都市)」へと飛び越えてしまう。視線があちら側へ飛び越えたとき、私たちは彼女たちとともに都市への傍観者であることをやめ“黒い塊”へ視線を向ける観察者としての役割を引き受ける。  カメラが黒い塊ににじり寄ったとき、カメラのピントは完全にぼけてしまい、カメラはピ ントを合わせるために黒い塊から視線を外す。ピントがぼけてしまうとき、私たちは埋めようとしている距離の長さを実感する。そして同時に、このクローズアップがすべてを暴いてしまうのではないかという暴力性に私たち観客はおびえるのである。そして、黒い塊に視線が戻った時、ピントはぴったりと黒い塊に合って「人だ!」ということが暴かれてしまう。 私たちの視線はどこへ行けばいいのか。サスペンスはどこへ。私たちはまたしても観察者から傍観者へ逆戻りである。都市は私たちを傍観者たれと強制する。作者は緩やかに周りの景色へパンを始め、私たちの視線の動揺をよそに傍観者であることを受け入れそれを楽しむかのようにあたりを漂い始める。彼女のカメラは傍観者であることを受け入れ、カメラを操る身体性とともに都市と融合を始めるのだ。  

 “そこに倒れ続ける黒い人”を媒介に、彼女が窓から眺める都市の人々の挙動が交錯してい

く。都市で起こることはいつだって具体的だ。ごみをあさる人、どこかに電話をかける人、 警察に連れていかれそうな人、怒鳴り散らす人。ディゾルブで重ねあわされた画面が、執拗に重ねあわされていく過程で、空間の境目が曖昧になり、こちら側とあちら側の境目として機能していた遠近感が融けてしまう。さっきまで境目だと思っていた輪郭(電柱や人、道路の白線だと認識していた)はメタリックな光を放ち、どろどろと溶け出してしまったかのよ うだ。やっと私たちは、傍観者として自由に世界を認識することができた。互いが互いに傍観者であり続けることを唯一のルールとして成立する都市という豊かな空間。そこに交差する傍観者の視線を作者はうまくとらえており、ディゾルブという映像編集技法の執拗なまでの徹底は、カットとカットの境目、あらゆる場所で私たちを縛る“輪郭”という概念から解放してくれる。同時に、人が行き交うメタリックに輝く都市の映像の後ろに流れ続ける、 窓のこちら側にいる彼女たちの会話と思しき人の声は、あくまでも傍観者としての姿勢を崩さまいとする作者の真摯で謙虚な態度の表明であり、カメラのこちら側とあちら側という普遍的でスリリングな関係性の表出である。融解した輪郭は徐々に再生され、いつもの様子を取り戻し、カメラはゆっくりと窓のこちら側にいる一番身近な他者へと向けられる。無 邪気に都市を眺める身近な他者の瞳。  

 「結末!」だ。あらゆる映画の結末はあらかじめ用意されており、必然だ。窓のこちら側から送り込まれたかのようなこの映画の「結末!」を担う都市の演者たち!画面の向こう側から歩いてくる女が“そこに倒れ続ける黒い人”の前でふと立ち止まり、唐突に映画は終わる。 作者が“そこに倒れ続ける黒い人”への傍観者としての役割を完遂する直前にこの映画は終わるのである。この批評文も作品に対して傍観者であり続ける覚悟の表明として、唐突にここで終わる。


山口健太


鑑賞作品

タイトル:リバティ・ツリー・サーカス (2020)

作家:藤井アンナ

Title : Liberty Tree Circus (2020)

Film by Anna Fujii

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